山北町ってどんなところ?④~鉄道編~「山北のスズメは黒い」

山北町の歴史を振り返りながら町の特徴を紹介する「山北町ってどんなところ?」の第4弾は、「鉄道の町」として栄えた明治期から昭和初期の様子。当時は蒸気機関車から吐き出される黒煙でスズメまでもすすけ、「山北のスズメは黒い」と言われるほどだったそうです。
(※この記事は、山北町教育委員会発行の「歴史・文化から学ぶ わたしたちの山北」や山北町史などを参考に作成しました)

箱根越えの基地駅

明治22(1889)年に東海道線が開通し、山北駅が開業されました。「山北-御殿場」間は高低差が350mあり、当時の機関車にとっては「最大の難所」と言われていました。そこで山北駅には箱根越えの「基地駅」として機関庫が設置され、町は「鉄道の町」として発展しました。

山北駅に設置された「扇形機関庫」(「歴史・文化から学ぶ わたしたちの山北」から引用)

機関庫では、御殿場に向かう列車を後ろから押す機関車が連結し、国府津に向かう列車には石炭と水を補給。一時は総勢700人を超える鉄道関係者が働いていたそうです。

蒸気機関車から吐き出される黒煙で機関庫周辺では民家の洗濯物だけでなくスズメまでもすすけ、「山北のスズメは黒い」と言われたほどだったそうです。

駅前には多くの商店が軒を連ねてにぎわいを見せていましたが、昭和9(1934)年の東海道本線のルート変更を受けてローカル線の「御殿場線」となり、減便。その後、第二次世界大戦の物資困窮によって単線化され、鉄道の規模縮小とともにかつての駅前のにぎわいは失われていきました。

山北駅にあった転車台に乗った機関車(山北町史から引用)

「鉄道の町」の名残り

「鉄道の町」として栄えた山北町には、今もその名残りが見られます。

山北駅の南側にある鉄道公園では、かつてこの地を走った「D52型蒸気機関車」(デゴニ)が保存され、2016年には動態化。「全国で唯一動くD52」として鉄道ファンらを楽しませています。
月1回程度の「運行」が行われ、予定が決まれば町のホームページでスケジュールが公表されるそうです。

山北町の鉄道公園に動態保存されている「D52型蒸気機関車」